気にしないでおこうと、思えば思うほど。

何度も何度も、頭の中で自分自身に言い聞かせてみても。







一度意識してしまった感情を抑えることは叶わず・・・じわじわと和希の心を侵食していく。








カチカチと時計の秒針の音さえ聞こえるような気になるほど、時間ばかりが気になるのに。
目の前の座る啓太と七条の会話が、まるで遠い世界の出来事であるかのように、全く耳に届かない。









「・・・・・どうしました?遠藤くん?」
「・・・・・・・」
「・・・遠藤くん?」
「・・・・・え、あ、はい」
「和希?どうしたの?・・・気分でも悪いの?」





自分の考えに没頭していた和希が顔を上げると、どこか心配そうな表情の啓太と七条が視界に映る。





「そんなコトないよ。ちょっとボーっとしちゃっただけ」
「本当に?」
「本当だよ。啓太は心配性だなぁ」
「だって、和希は体調が悪くったって、いつもムリしてるじゃないか」
「・・・・・そ、そんなことないよ」



少し言葉に詰まりながら、和希は真剣な眼差しで自分を見つめる啓太から、ばつが悪そうに視線を外す。




確かに、理事長と学生の二足のわらじ生活は・・・思ったよりも大変だった。
覚悟はしていたけれど、思うように仕事が進まないことも結構多い。

そんな時は、必然的に睡眠時間を削って、仕事をこなすしかなくて。



その結果、啓太たちに心配をかけるハメになってしまったことも、何回かある。








「嘘、和希の大丈夫は当てにならないし」
「本当になんともないんだってば」
「まぁまぁ、伊藤くん。落ち着いてください」




啓太の勢いに気圧され、困った表情を浮かべる和希に、七条がそっと助け舟を出した。




「だって、七条さんっ・・・」
「伊藤くんが遠藤くんを心配する気持ちも分かりますけど・・・・ね?」
「でも・・・・」



七条にやんわりと諭されながらも、啓太の視線は向かい側に座る和希へと向けられる。




「本当に大丈夫だから。心配かけてゴメンな、啓太」
「・・・・・う、うん」


視線の先の和希からいつもの笑顔を向けられた啓太は、渋々といった様子で頷く。
そのまま少し俯いてから・・・意を決したように顔を上げて、啓太は口を開いた。


「和希・・・学生と仕事の両立が大変なら・・・・俺・・・・・・」
「啓太、待って」


啓太の言いたいことを理解した和希は、少し厳しい口調でその言葉を遮る。


「啓太の気持ちはありがたいけど・・・俺はこの生活をやめる気はないよ」
「・・・・・和希」
「啓太との約束もモチロンだけど、俺自身がこの生活を気に入ってるしね」



にっこりと向けられた笑顔は『遠藤和希』よりも『鈴菱和希』に近いように、啓太には見えた。



「でも・・・そのせいで和希が無理をして、身体を壊しちゃ意味ないじゃんか・・・!」



少し目を潤ませながら訴えるように語りかけてくれる啓太に、和希は言いようのない愛しさを感じる。



「その件に関しては、俺の自己管理不行き届きだから・・・啓太に心配かけて申し訳ないと思ってる。
でも、これは俺自身が決めたことだから」



ワガママ言って、ごめんな。
そう続けられた言葉に、啓太は何も言えず首を振るしかなくて。


「・・・・・もういいよ。俺だって、本当は和希と一緒にいたいし」
「ありがとう・・・啓太」




「・・・・・さて、お二人とも話が纏まったところで、そろそろ寮に戻りませんか?」


そんな二人の様子をじっと静観していた七条が、やんわりとした笑顔を向けながらそう告げる。




「はい」



和希と啓太は同時に答えると、それぞれのティーカップを手にゆっくりと立ち上がった。









「お二人とも、僕が片付けますから、そのままにしておいて下さってかまいませんよ」
「そんな、頂いたままなんて申し訳ないですから、せめて片付けくらい・・・わぁっ!!」
「伊藤くん?」
「啓太っ?!」



ガチャンと言う大きな音とともに、椅子の足にひっかかって、バランスを崩した啓太の手から
滑り落ちたティーカップが、欠片となって無残にも床に散らばる。


「あ、ご・・・ごめんなさい、俺・・・」
「いいんですよ、伊藤くん・・・それよりも大丈夫でしたか?」
「俺は平気です・・・でも」
「本当に気にしないでください。君に怪我がなくてよかったです」


やんわりとした七条の笑顔を向けられて、啓太はかぁっと頬が火照ってくるのを感じる。
そんな二人の様子に和希は肩をすくめると、そっと屈んで、床に散らばったままの破片へと手を伸ばす。



「遠藤くん、危ないですから・・・」
「大丈夫ですよ、これくらい・・・」



そんな言葉とともに、七条に向かっていつもの笑顔を向けた瞬間、鋭い痛みが和希の指先に走る。



「・・・・っつ・・・!」


しまった・・・と、思ったときにはもう遅くて。
大丈夫だと高をくくって脇目を振り返ってしまった己の行動を悔やんでも、もう後の祭りだった。



「遠藤くん?!」
「和希っ?!」



慌てて二人が駆け寄ってくると、和希はばつの悪そうな笑顔を浮かべた。



「注意力散漫ですよ、遠藤くん?」
「・・・スミマセン」
「大丈夫?和希・・・ゴメン、俺のせいで・・・」
「啓太のせいじゃないよ」
「そうですよ、これは伊藤くんのせいではないんですから」


啓太にベタ惚れの七条の、正論とは言えその歯に衣着せぬ物言いに、啓太は苦笑いを浮かべる。



「遠藤くん、手当てしますから、傷口見せてください」
「え?い、いいですよ・・・大した事ないですし」
「・・・・・遠藤くん?」
「・・・・・・・・・・・分かりました。お願いします」


これ以上手間をかけさせて、啓太との時間を邪魔しないでください。
そんな無言の圧力を込めた笑顔で名前を呼ばれた和希は、渋々、切れた右手を差し出した。



余所見をして目測を見誤っていたためか、中指の先が思ったより深く切れているらしく、傷口から
ポツリと紅い雫が滴る。
七条はポケットからハンカチを取り出して、傷口を優しく包むと、そのまま和希の手を軽く引きよせる。


「とりあえず、傷口を洗いましょう」
「・・・はぁい」




七条に手を引かれて、渋々ながらも会計室の奥にある給湯室へと向かった、その瞬間









「・・・・・西園寺、いるか?」


コンコンというノックの音とほぼ同時に、開かれた扉の向こうから現れた男を目にした瞬間、
和希をはじめその場にいた全員の動きが、不自然に止まった。
男の方も、入ってきた途端に己の目に飛び込んできた光景に、一瞬だけ眉を顰める。



「・・・ふん、いないようだな」



手にしていた書類を手近な机に、ばさりと乱暴に置いて、男は和希の方へと視線を投げた。



「おい、後は会計の処理だけだと西園寺に伝えておけ」
「はい、わかりました」


和希に向けられたと思われた視線は、すぐ隣にいる七条へと向けられていた事に気づいて、少しだけ
ほっとした瞬間、和希は自分は今置かれている状況に、ようやく気づいた。





握られたままの、自分の手。
その手を握っているのは・・・他でもない、すぐ隣にいる七条で。




慌てて離そうとしたその手を、七条はぎゅっと強く、握り返してきた。




「し、七条さんっ!!」
「ダメですよ、遠藤くん。まだ終わってないのですから」




―――――そ、そんな思わせぶりな言い方しないでほしい・・・。





その言い回しと、七条独特の胡散臭い笑顔が相俟って、何もやましいことなどないはずなのに
和希の頭の中は、この事実をどう説明したらいいのか分からなくなってしまう。





―――――ど、どうしよう・・・怒ってる・・・よな、やっぱり。






恐る恐る、和希は視線を男の方へと向けてみる。







「邪魔したな」






男の顔は、平然としていた。

まるで、何事もなかったみたいに・・・いつも通りの涼しげな表情を湛えていて。
そのまま、振り返ることすらなく、扉の向こうへと消えていく。







「・・・・・ま、待ってください・・・・・中嶋さんっ!!」






その姿を追って、和希は七条の手を思い切り振り払うと、勢いよく駆け出していった。











「・・・七条さん、アレ、わざとですよね?」


二人きりになった会計室で、砕けたティーカップの破片を片付けながら、啓太は七条へと視線を向けた。


「何のことですか?」
「とぼけないでください。和希が手を離そうとした時、七条さんが引き止めましたよね?」


少し非難めいた口調の啓太に、七条はいつもの笑顔で応える。


「少しだけ、中嶋さんにいじわるをしてみたくなりまして」
「・・・・・」




―――――少しだけって・・・。それでイチバン可哀相なのは和希だと思うんですけど。




相変わらずの仲の悪い七条と中嶋の関係に、啓太は返す言葉もなく、ただため息をこぼした。

親友同士で同じ相手を好きになるのも困ると思うけど、好きな相手同士がここまで仲が悪いのも
どうしたものかと、啓太は思う。

それでもお互い、好きになってしまったのだから・・・どうしようもないのだけれど。






ー――――和希・・・大丈夫かな。





自分の目の前に集められたティーカップの破片が、何かの暗示のようにさえも感じられて、啓太は
大きく首を振った。










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こ、今度は和啓かよっ!?(一人ツッコミ)
スミマセン・・・なかなか思うように話が進みませんでした。
ようやっと中嶋さんが出てきました。次で終わる予定です。






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