「和希、暇なら一緒に会計室に行かない?」

一日の授業を終えた開放感と喧騒に包まれた教室に、啓太の明るい声が響く。



「・・・う〜ん、そうだなぁ・・・・・」



今日の放課後の予定を、和希はゆっくりと脳内で反芻してみる。







仕事・・・は、今日は理事長室には顔を出さなくても、部屋だけで済みそうだし、中嶋さんも生徒会の仕事が
立て込んでるって言ってたよな。







『丹羽でないと出来ない重要書類もあるからな。・・・寧ろ残っているのはそういった類の書類だけだが』




昨日の中嶋の言葉と呆れを含んだ表情が、鮮明に脳裏に甦ってきて、思わず苦笑いが零れる。




和希にも手伝える仕事なら、この際、協力しても構わない。
そうすることで、恋人である中嶋との共有時間が増えるのなら、それもまた数ある恋人同士の時間の
過ごし方の一つとして、受け入れることもやぶさかではないのだ。

まぁ、本音を言えば、全くもって不本意なんだけど。



でも、生徒会には一般の生徒が目にすることは出来ない、重要な極秘書類も存在するわけで。
そういった書類であるほど、生徒会長である丹羽自身が処理をしなければいけないのは至極当然の事だと
和希は思う。・・・・・思うのだけれど。



『・・・遠藤、明日は生徒会室には来なくていいぞ。』
『わかりました。俺がいても、何もお手伝い出来そうにないですしね』
『そうだな、お前がいると丹羽がお前にちょっかいを出しては、仕事をサボろうとするからな・・・』



少し困ったように苦笑いを浮かべた和希に、中嶋は唇の端を持ち上げただけの薄い笑みを返して呟く。





『・・・・・明日は、俺がマンツーマンで、みっちり調教してやろう・・・』







その時の中嶋の瞳の奥に感じた、絶対零度の炎を思い出して・・・和希の背筋を薄ら寒いものが走る。









―――――あの様子じゃ、今日は王様・・・仕事が終わるまでは開放されないだろうな。










自業自得といえばそれまでだけど、その時の中嶋の様子を思い出すと少しだけ不憫に感じて、和希は
丹羽に向かって心の中で、そっと手を合わせた。





中嶋の言う『重要書類』も、実を言えば・・・最終的には理事長である和希自身まで廻ってくる。
そういった意味では、和希が書類を目にしてしまっても、なんら問題はないのだけれど。


問題なのは、和希がこの『ベルリバティスクールの理事長』であるという事実を、丹羽だけでなく、恋人である
中嶋にも、今だ打ち明けていないという事実であって。





いつか、打ち明けなければいけないのは・・・分かってる。

でも、一度きっかけを失ってしまうと・・・あとはもう、有耶無耶のままに流されてしまっている自分を
和希はイヤというほど、痛感していた。


本当は自分と中嶋が『恋人同士』という関係になる時に、きっちりと話しておくべきだったのだ。


その機会を失い、時が経てば経つほど言い出せなくなり・・・焦る想いと正比例するかのように、和希の心に
広がっていった、もう一つの想い。






―――――出来るのなら・・・もし、赦されるのならば、中嶋さんの前では、ずっと『遠藤和希』のままで。






そんな自分勝手な想いが頭を擡げ・・・離れない。





このままではいけない。
・・・・・でも、できるのならこのままで。






相反する想いを抱えながら、打ち明ける勇気もきっかけも持てないままの自分が、イヤで仕方ないのに。














「・・・・・き?・・・・・・和希ってばっ!!」




自分を呼ぶ声に、我に返ると・・・目の前には、怪訝そうな啓太の顔。



「あ、あぁ・・・ごめん、啓太。なに?」
「何?じゃないよ、ずっと呼んでるのに和希ったら考え込んだままでさ。何か用事があるなら
ムリしなくていいよ?」

もしかして仕事?・・・と、小さく和希の耳元で付け加えられた啓太の言葉に、和希は小さく首を振る。





「そうじゃないよ・・・そうだなぁ、俺もお邪魔させてもらおうかな」






和希の言葉に、啓太は満面の笑顔を浮かべながら頷いた。























「久しぶりですね、遠藤君がここに顔を出してくださるのは」






いつもの穏やかな笑みを湛えながら、七条が差し出したティーカップを、和希は軽く一礼をして受け取る。


「そうですね・・・最近は生徒会の方ばかりでしたから」


芳しい芳香を漂わせる紅い液体を口に含んで、和希は苦笑いを浮かべた。




会計室の一角にあるソファーに腰を下ろした和希と啓太は、七条が淹れた紅茶とケーキで、優雅な午後の
ティータイムを満喫していた。


中嶋と共に生徒会室で過ごす時間も、和希にとっては幸せな時間だけれど、この会計室で過ごすひとときも、
比べようがないほど心地よい時間だった。
会計部の二人・・・西園寺と七条は、和希自身が理事長であることを認識、そして理解してくれている、
数少ない協力者でもあって。


その事実だけでも、和希にとってはここが居心地のいい場所というには充分だった。





―――――それに、七条さんが淹れてくれた紅茶・・・美味しいんだよな。






甘く、それでいて清々しささえも感じる芳香を漂わす紅茶を、もう一口含んで。
口中に広がる香りを愉しみながら、やっぱり来てよかったな・・・と、心の中で呟く。



人数分の紅茶を用意し終えた七条は、和希の向かい側に座る啓太の横へと、ゆっくりと腰を下ろした。





「伊藤君、口元にクリームがついていますよ」
「え?本当ですか?」
「えぇ・・・少し、動かないでくださいね」




やんわりとしたいつもの笑顔が急に近づいたと思った瞬間、啓太の口元に何かが触れた。




「な、な・・・・し、七条さんっ!!」
「はい、どうしました?伊藤君?」
「ど、どーしましたじゃないですよっ!!」
「ごちそうさまでした。とても美味しかったですよ」
「そうじゃなくて・・・いきなりそんなこと・・・・・」
「・・・おや?だったら前置きをすればいいんですね?」
「・・・・・・・え?」





「それじゃ、遠慮なく・・・」





いただきます・・・・という言葉と同時に、今度は啓太の唇へと、そっと甘いキスが落とされる。









「・・・・・どーでもいいですけど、俺がいるのを忘れないでくださいよ・・・・・」



啓太と七条のイチャイチャ振りはいつものこととは言え、ここまでおおっぴらに眼前で繰り広げられて
しまっては、和希としては、さすがに居心地が悪い。
寧ろ、自分は何も悪くないはずなのに、ここにいることが悪い気さえしてくる。




「ったく、西園寺さんがいないとすぐにこれだもんな・・・・」
「すみませんねぇ・・・つい」
「そんなコト言って・・・七条さん、悪いことをしたなんて、これっぽっちも思っていないでしょう?」
「・・・・・バレましたか」
「・・・・・わかりますよ」



いつもの笑顔で謝罪の言葉を述べる七条の真意は、普段なら中々読めないことが多い。
でも、今回に関しては確実に上辺だけの謝罪の言葉だと、和希は確信していた。



何故なら・・・。



「七条さん、啓太にベタ惚れですからね」
「か、和希っ!!」


呆れを含んだ和希の言葉を、頬を紅く染めた啓太が遮る。


「えぇ、僕は伊藤君のことを、心の底から愛していますから」
「し、七条さんっ!!」


相変わらずの笑顔で、聞いているほうが恥ずかしくなるような台詞を、七条はさらりと口にする。
でも、今度の言葉は嘘偽りのない七条の気持ちであることは、その口ぶりからも明らかで。



「はいはい、ごちそうさまでした」



肩をすくめて、ため息混じりに呟く和希に、七条は満足そうに目を細める。






「そ、そういえば西園寺さん・・・中々戻ってこないですねっ」


これ以上この話題が続いてはたまらないと、啓太が少し強引に話題の転換を図る。
だが、その顔だけでなく耳までも真っ赤で・・・落ち着かないままに忙しなく左右する視線が、
何とも微笑ましい。




「郁は海野先生の研究のお手伝いにいっているので、しばらく戻ってはきませんよ」
「あ・・・そ、そうなんですか」
「・・・・・伊藤君は、郁がいないと寂しいですか?」
「え・・・?」
「僕だけでは・・・ダメでしょうか?」
「そ、そんなコトありませんっ!あるわけないじゃないですかっ!!」



少し寂しげな表情を浮かべた七条の言葉を真に受けた啓太は、思い切り首を振りながら、必死に否定する。
そんな啓太の反応を見て、よかった・・・と、ホッとしたように呟く七条の背中に、和希は真っ黒な羽根を
見たような気がした。




―――――啓太のヤツ・・・そういう反応は七条さんの思うツボだってば。





何処までも純真な親友に、心の中でツッコミをいれながらも・・・ふと、和希の脳裏を掠めたのは、たった
一人の大切な人の顔。







中嶋さん・・・今頃どうしてるかな。




ちらりと壁にかけられた時計へと視線を向けると、丁度5時を回ったところで。


どうしてるも何も・・・今頃、王様を生徒会室に監禁して・・・せっせと業務処理に励んでる・・・いや
励ませているに違いない。



それなのに。



何だろう・・・胸がモヤモヤする。




丹羽とと中嶋が二人きりで生徒会業務をこなす事なんて、当り前のはずなのに。
そんな当り前のことを考えただけで、和希の胸に広がる・・・言いようのない、焦燥感。




最近、ずっと中嶋さんを手伝っていたから?
それとも、仲のいい啓太と七条さんを、目の当たりにしたから?






答えがでないと分かっている、問いかけ。






そのどちらも正解であり・・・そうでもないことは、和希自身が一番良くわかっていた。




生徒会長である丹羽と、副会長の中嶋が二人で業務をこなすことに、当たり前だが異論なんてあるはずがない。
そもそも和希は、生徒会役員でもないのだから、手伝わされていること自体が理不尽なのだから。

啓太と七条の二人も、仲がいいのはいつもの事で。







何だろう・・・この感じ。






今まで気にならなかったことが、やけに気になる。


自分の心を絡め取られるような、モヤモヤとした得体の知れない感情を洗い流すかのように、和希は
少し冷めた紅茶を、その喉へと一気に流し込んだ。










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中和・・・のはずなのに中嶋さんの出番が・・・。うぅ、ごめんなさい。
七啓が出張りすぎましたが、でも書いてて楽しかったです。(笑)





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